宮城県原爆被害者の会「はぎの会」主催の「被爆70年のつどい」の第2部、朗読構成劇「今、ふたたび被爆者をつくらないために」にて演奏してきました。始めに「ヒロシマのある国で」、最後に「人間だから」の2曲です。
会場の仙台市福祉プラザふれあいホールには、100人弱の参加者がいらしたでしょうか。。。
劇中紹介された、4年かけてまとめられたという「原爆被害者の基本要求」には、
あの日のこと
亡くなられた方々への思い
命をつなぐことができたものの、原爆症との戦い、精神的な苦痛、生活面での苦しくつらい日々のこと
が述べられ、
閃光とともに二つの町を壊滅させ、人々を地獄へ落とし入れた核兵器をなくして、核戦争を起こさないで、
との訴えがあり、今すぐの原爆被害者援護法の制定、を願う内容になっており、
『この願いが実ったとき、被爆者は初めて「平和の礎」として生きることができ、
死者達はようやく安らかに眠ることができるのです
人類が二度とあのあやまちを繰り返さないための砦を築くこと
原爆から生き残った私たちにとってそれは歴史から与えられた使命だと考えます
この使命を果たすことだけが、被爆者が次代に残すことのできるたった一つの遺産なのです。』
と、締めくくられていました。
その地にいたというだけで、あの日以来70年もの長い間ただただ苦しんでこられた被害者の皆様なのに、本当に謙虚な、心打たれる内容です。
そして、最後に、ステージ背後のスクリーンに「高校生が描いた被爆証言の絵」が映し出されました。
ほぼ全員参加の団員は、朗読中は暑いステージ袖に控えて、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けていました。
依頼された演奏でしたが、参加の団員達にとっては、実り多い学習の場になったように思います。
原爆についての学習と言えば、小学生の頃、原爆資料館の地方巡回展を見て、夜も眠れなくなるほどショックを受けたこと、初めての広島行きの際、新幹線が広島駅に近づくにつれて、「ここに原爆が落とされたんだ」という思いで、心臓がドキドキして涙がこぼれたこと、長崎の「平和公園」で、同行の同僚達が足早に移動するので、「そんなに早く行くなよ~ じっくり歩こう~」と心の中で叫んでいたこと、などを思い出しました。
今時の若者は、巡回展など見ているのでしょうか? 広島・長崎あるいは沖縄には何歳頃、誰と行っているのでしょうかねぇ。
わか~いときに、そういう大事なところに連れて行きたいものですね~ て、平和教育を兼ねた修学旅行が一番手っ取り早いかも・・・
小林先生、華純先生にはご指導ありがとうございました。 参加の団員の皆さんには、暑いところお疲れ様でした。 また、写真は会場にいらしたしゅんさんの奥様に撮って頂きました。ありがとうございました。
勝手に写真部長